※現代ベル×10年後フランです。



「おー、本当に寝込んでらー」

激しい戦闘の爪痕が痛々しく残る一室に、とても似合わない間延びした声が響く。
部屋の調度品と釣り合わない簡易ベッドが3台並び、その一番奥で横たわるベルフェゴールは、痛みを疼かせる体に鞭打って首を伸ばし入り口を見やる。
そこには、この時代に会ったときよりも手足が長くなり、頭に黒のカエルを被った男がいた。
今のベルフェゴールには会えるはずがないその人、10年後の彼の後輩は、記憶と違わず空気が読めていないのか片手を挙げて声をかける。

「ヴァリアーのみなさーん、お見舞いに来てあげましたよー」



マーモンはアルコバレーノの会合に出掛けていたし、ザンザスとスクアーロはそれぞれ別室で休息していた。
ルッスーリアとレヴィはぐっすり寝入っていたし、ベルフェゴールだって肉体的にも精神的にも限界が近く、すぐにでも眠りにつくところだったのだ。
それが、隠そうともしない藍色の炎と脊髄反射で苛立ってしまう声色に叩き起こされたのだから、現在ベルフェゴールがあからさまに殺気を露にしているのも無理はない。
しかしそれを丸ごとスルーし、まだ使えそうな椅子をふたつ見つけ出してベルフェゴールのベッドの側に寄せると、
フランは片方に果物が多数盛られたバスケットを置き、もう片方に腰かけた。

「何しに来たんだよ」
「お見舞いですよーお見舞い。ミーの話聞いてくださいよー堕王子」
「堕王子いうな! 大体おまえがなんでここに」
「全身包帯巻いたミイラ男状態の割によく喋りますねー」
「……おまえもな、相変わらず人の揚げ足ばっかり取りやがって」

悪態に悪態を重ね合うやりとりのなかで、一瞬フランが目を見開いた、ような気がした。
曖昧な言葉しか選べないのは、フランの表情の変化があまりにも小さかったことに加えて、
経験の伴わない記憶だけを持ったベルフェゴールはフランに対して自信があるとは言えなかったからである。

「この時代のセンパイは、ミーのこと覚えてるんですね」

決してベルフェゴールに聞こえてしまわないように小さく、胸の痛みを噛み締めながら呟いた。
唇の震えを隠すために口を結ぶと、普段と変わらない無表情になる。
疑問を抱く暇さえ与えず、バスケットの林檎と果物ナイフに手を伸ばす。
そして、穏やかな色の瞳で僅かに微笑むのであった。

「センパイに剥いてあげますねー」
「好きにすれば……」

溜息混じりに呟いて顔を背けるベルフェゴールを気に留めず、フランは鼻歌交じりにてきぱきと動き、熟れた林檎が次々と解体されていく。
さらさらと皮を剥くその音は心地良かった。
体を癒すにはあまりにも焦げ臭い部屋ではあったが、フランの登場によって張りつめた空気が一瞬でほどけたのも事実である。
ひとつ深呼吸をして、悟られないように横目でフランの様子を窺う。
伏せがちな瞳で強調された淡緑の睫毛が瞬きで震えるたび、鼓動の音が体を跳ね上げるほど大きく響くのには気付かない振りをした。

「器用なもんだな」
「どっかの戦闘狂ナイフバカのせいで、ナイフの扱いに慣れちゃったものでー」
「……全快したら蜂の巣決定な」
「期待してますよーベルセンパイ」

同じくバスケットの中から取り出した皿に乱雑に落とした林檎の欠片にフォークを突きたて、無遠慮にベルフェゴールの口元へ寄せる。
びたびたと林檎の瑞々しい果肉が唇に頬に包帯に当たり、べたつきを撒き散らしながらフォークを振り回して、
さながらキャンバスに絵筆に見立てているかのように顔に押し当てた。
この傍若無人さで見舞いに来ていると言うのだから、フランのマイペースぶりにはベルフェゴールですら驚かされる。

「ほらほらー、ミーだと思って食べていいですよ、あーん」
「なに言ってんだおまえ」
「この時代のミーのことですよー。被り物なんて変な趣味、センパイの影響に決まってるじゃないですかー」

確かに、とこの時代のフランの姿を思い出す。小さい頭の上に乗る大きすぎる被り物は、何よりも未来の姿を彷彿させた。
その光景を苦々しくもはっきりと描くことができるのは、それだけあの日を心待ちにしていたからであり、同時に見事に期待を砕かれたからとも言える。
やり直した第一印象も最悪だった。
記憶喪失。魅力的な彼の実力もさることながら、なによりベルフェゴールは思ったのだ。「俺のことまで忘れたのか」と。
それは言うなれば現在のベルフェゴールではなく、10年後のベルフェゴールが思ったのだろう。
……記憶喪失?

「……おまえ、記憶無くしてるんじゃなかったか? 俺関係なくね?」
「ちっ、ばれたかー」
「ばれたかー、じゃねえよ! 決めた刺す、絶対刺す!」
「まーまー、細かいことはいいじゃないですかー。ほら、あーん」

フォークの先がわざとらしく上下する。
鼻を鳴らして顔を背けると、大して気にも留めないのか早々にフォークの先を自分に向け、そのまま林檎に齧りついた。
やけに目につく、フランの薄桃の唇、白い歯、赤い舌。どれも林檎の果汁に濡れ目映く反射する。
未来の記憶を強引に脳内に叩きつけられたあの日から、10年後の自分にできた後輩に”カワイクない”以上の感情を抱いていることを知った。
にわかに信じがたいことではあるが、ベルフェゴール自身がそう言うのだから間違いないのだろう。
見舞いと言い放つその口で見舞い品を頬張るこの男のどこが良いのか、そこまでは知らないけれど。

「なんで未来のオレはおまえを好きになったんだろうな」
「センパイはデリカシーって言葉聞いたことあります?」
「ほんとムカツク。今すぐ殺してー」
「やれるもんならどうぞーはいあーん」
「ふぐ?!」

迂闊だった。文句を言ったその口に林檎の欠片を無理やり押し込める後輩の手に容赦など無く、ベルフェゴールは抵抗など出来ぬままに咀嚼するハメになった。
噛み締めれば止め処なく口内に溢れる果汁が負傷した体に染みわたる。瑞々しさばかりが先行し、味はよく分からなかったが。

「ベルセンパイにはここで死なれちゃ困るんですよー」

呟いたフランの瞳が揺れる。からかうべきか動揺の意味を問うべきか、ベルフェゴールの唇が迷っている一瞬の間に、包帯越しの頬に指が触れる。
ろくに抵抗もできない状態の為か特に何もせずにその指を受け入れるベルフェゴールは、「相変わらず冷たいんだな」などと考えながら白い指先を見つめていた。
この指を、ベルフェゴールは知っている。
傷口を掠めながら遊ぶ指先は、かつて未来で、午後の木漏れ日の中で感じたものと同じだった。
未来の何気ない日常の果てに現在がある。矛盾を孕んだ言葉ではあるが、今の状況を的確に表していた。
フランの指は包帯の縁に爪を掛け、伝い、顔の輪郭を捉える。
苦痛に伴い火照りを帯びる今のベルフェゴールの身体にはむしろありがたかったが、わざとらしく唇をタップするのはいかがなものか。
これでは余計に熱が燻ってしまう。

「ごめんなさい、この時代のミーがセンパイのこと、忘れちゃって」

近付く唇。抵抗をする気にはならなかったが、緊張するなというのも無理な話で。
強張り震える唇、の上を通り過ぎたフランの唇がベルフェゴールの左の耳朶に触れる。
ちゅ、と可愛らしいリップ音が過剰なほどに脳内に反響していた。
息つくことさえままならず口を開けるベルフェゴールの表情を見て、フランがくすりと笑ったような気がした。

「続きは、未来までおあずけですー」

わざとらしい口調と息遣いが耳の産毛をくすぐる。
眼前には若々しい淡緑の髪の毛と白い首筋が迫り、無意識のうちに喉を鳴らしていた。
あの首筋に噛みついたら、舌を這わせたら、噛み千切ったら。
瞬時に巡るそんな妄想は、自分の指先さえまともに動かせない今のベルフェゴールにとって、ただの毒にしかならなかったけれど。

「センパイのえっちー、すけべー、変態色情魔ー」
「なっ、ばか! おまえ、なに言って」
「いいんですよー? センパイがどんなに変態でマニアックなフェチがあっても、それを受け止めるのが10年後のミーの役目ですからー」
「はあ?! オレはそこまで変態じゃないし、っつか、役目っておまえ、どういう」
「その答えも含めて、おあずけですよーベルセンパイ」
「フラン!」



「名前、その声で呼ばれるとちょっと照れますねー」

などと言いながらはにかんで、フランはその場を去った。
なぜここへ来たのか、どうやってここへ来たのか聞けぬまま、得意の幻術を使う素振りも見せず普通にドアから帰っていく背中に
向かって口を開こうとはしたのだが、振り返り口元に人差し指を押し当てるフランの顔を見ると何も言えず。
動きが止まるベルフェゴール相手に、満足そうに目を細めると今度こそフランは歩き出したのだった。