※20歳ベル×11歳フランというパロディです。



妙に楽しそうなルッスーリアに閉じ込められた無駄に広い談話室で、ベルフェゴールは久々に背中に汗が伝うのを感じていた。
いつ以来だろう。もうすっかり昔の出来事となった並盛での戦いだって、こんな風に焦ったりしなかったのに。
長いソファの右端に腰かけてちらりと左に視線を送る。
その先には、自分の記憶よりもずっと幼い緑の髪の少年がソファの上でうんと背中を丸めて座っていた。
ルッスーリアに握らされた、ホットミルクが湯気を立てるマグカップを見つめる少年は決してベルフェゴールを見ようとしない。
それどころか接触を拒むように距離を置く少年に何と声をかけようか、ベルフェゴールは柄にも合わず思い悩んでいた。

久しぶり。違う。だって初対面だし。向こうも未来の記憶を与えられたかどうかは分からない。
はじめまして。違う。コイツがいた記憶は持っているから、初めてとは言い難い。
これからよろしく。違う。これからコイツがここに来るのかなんて知らない。
ていうか、コイツはいったい何をしに来たんだ?
待て、それを聞けばいいんじゃないか?
でもどんな言葉で?

「ベルセンパイ」

唐突に響いたソプラノ。
知っていた彼のものよりもずっと高い声で呼ばれて心臓が少し痛む。
慌てて反対の端を振り返ると、幼さの消えない顔立ちが無表情でこちらをじっと見ていた。
咄嗟のことで吐息ばかり漏れるベルフェゴールの口を、あのすべてを見透かしたような瞳が映す。

「やっぱり、アンタがベルセンパイですかー」
「やっぱりってなんだよ」
「堕王子って顔に書いてありますからー」
「あぁ?」
「でも髪型が違うから別の人かもって思ったんですー」
「なんだ、お前も持ってるんだ、未来の記憶」
「当たり前ですよー、ミーはアンタと違ってちゃんとおしごとしましたからー」
「うるせえよ」

記憶と同じ、毒にまみれた言葉を吐き合って、ベルフェゴールは思わず笑ってしまった。
フランは怪訝そうに首をかしげていたが、すぐにどうでもよくなったのだろう、程よく冷めたホットミルクに口をつける。
広い部屋でふたりきりという気まずい状況は変わらないが、先程よりは幾らか穏やかなものになった雰囲気に気を許してしまいそうだ。
今度は自然に口が動く。意図したわけではなかったが、ベルフェゴールの声はやけに優しく響いた。

「何しに来たんだよ、おまえ」
「ミーに聞かれても困りますー、うちの師匠は気まぐれで何を考えてるのかわからない人ですからー」
「六道骸か」
「当たりですー」

軽く話しながら、未来の自分があんなにもコイツに執着した理由をずっと考えている。
それはどうやらかなり複雑なようで、どうしてもうまく言い表すことができない。
安っぽい言葉ならいくつも思い付くけれど、どれも相応しくない気がして振り払う、それを繰り返してばかりだ。
ベルフェゴールが話を聞いていないことに気付いたのか、それとも単に興味を無くしただけか。フランは視線を戻しマグカップの中身をすべ て飲み干した。
ごくん、と細い喉が鳴る。つられるようにベルフェゴールも唾液を飲み込んだ。

「師匠にベルセンパイのことを聞いたんですけどー」
「へえ、なんて?」
「クロームねーさんにひどいことをした悪魔です、と」
「……近からず、とだけ言っておく」

その説明は間違っている、と言えば嘘になるだろう。
あの戦いは今でも思い出す。全ては勝利の為に、手段を選ばなかった。結局は負けたことになってはいるけれど。
今振り返ってみても、ベルフェゴールの胸に後悔の念が沸き上がることはなかった。
そんな言葉は彼の辞書には無い。前に進む自分自身がいればそれだけでよかった。
確かに屈辱を味わった。しかし普段の任務とは違う、あのときほどの高揚感はまだ味わえていない。
それだけで十分。いい思い出にはなりそうもないけれど、あの頃の自分に思いを馳せるのは、悪くないと思う。

「……師匠は、あんなやからに近づいてはいけませんって言うんですけどー」

フランの言葉がベルフェゴールの意識を鷲掴み引き戻した。
先程と変わらず合わせる意思を汲み取ることができない視線は、まっすぐに随分遠くの壁を射る。
こういうときは自分の前髪の長さに救われる。行先を見失ってさ迷っているなんて情けない瞳を見せないで済むから。

「ミーの記憶の中のベルセンパイは、時々だけどすごく優しくて、未来のミーはセンパイのことを好きだったから」

どうすればいいんでしょう?と問いかけるフランを見る。
ベルフェゴールの体は痛みに似た熱をもち指先が震えだした。はあ、と息を吐くことはできても酸素を取り込むのが難しくて痺れを覚える。
つまり、ベルフェゴールは他ならぬフランの言葉に興奮させられたのだ。
だって、なんてひどい殺し文句だろう。
記憶の中のフランよりずっと幼く純真な彼は、ずっと少ない語彙で素直な気持ちを綴る。
今のフランの年齢を考えればかなり大人びていると思っただろうが、辛辣で無表情なコーハイとしてのフランを知るベルフェゴールにとって は刺激が強すぎたのだろう。

「ここに居ればいいんじゃねえの」

やっとの思いで口から出したベルフェゴールの声は叫び声に近かった。
悲痛にも聞こえる叫びにフランは目を見開いて息を詰める。
それを見て、言ってはいけないことを言ってしまったのではないかという自覚に体が強張った。
再び訪れる沈黙。ばくばくと全身で自分の鼓動を感じながら、ベルフェゴールは指先すら動かすのを躊躇う。
今まで自分はこんなにも相手のために動揺したことがあっただろうか。
興奮して体が上手く動かないときほど脳は冷静に働く。
まるで幽体離脱でもしたかのような感覚だった。パニック状態に近い自分の体を見下ろして、脳は自己分析を始める。
少なくとも今、彼は他人の痛みに敏感であろうとしていた。フランの心に傷を付けるかもしれないという疑心がたまらなく恐怖を煽る。
誰かに知られれば、暗殺部隊の幹部という肩書きが廃ると罵られることは避けられまい。
だがベルフェゴールの葛藤など知る由もないフランは、誰も見たことないくらい無邪気に笑うから。

ベルフェゴールがフランに触れようと手を伸ばすまでにそう時間はかからなかった。



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