※王子様ベルと魔法使いフランというパロディです。



むかしむかしあるところに、魔法使いが住んでいました。
魔法使いの住む屋敷は町外れにあり、とても大きくて豪華なものでしたが、
近隣のものは誰一人として屋敷に近づこうとはしませんでした。
なぜなら魔法使いの屋敷には季節や時間に関係なく薄暗い霧が立ち込めていて、
また魔法使い自身も無表情で多くを語らない人物だったために、誰もが気味が悪いと思ったからでした。
魔法使いは決して無口なわけではなく、ただ他の人間に対する興味を持ち合わせていなかっただけだったのですが。
そんなわけで、大きな屋敷で魔法使いはひとりぼっち。
しかし魔法使いが孤独を恐れることはありませんでした。
むしろ一人でいる時間を好む魔法使いは、有り余る時間で本をたくさん読みました。
魔法使いの屋敷は、もともと魔法使いの師匠が住んでいたもので、ジャンルや年代を問わずたくさんの本があります。
魔法使いは本を読むことが大好きです。
本を読むとたくさんのことを知ることができるし、いろいろなところへ行った気分を味わうことができるからです。
ある日、魔法使いは一冊の本を読んである人物を知ります。
その人物とは魔法使いの住む町の王子様で、本には容姿端麗で頭もよい、いわゆる天才だと書かれていました。
この本を読んで初めて、魔法使いは他人に興味を持ちました。
本当にこんな人物がいるのだろうか……。
魔法使いは来る日も来る日も会ったことのない王子様を胸に描いては、どうせ実際に会えるわけではないとため息をついて過ごしていました。

そのころ、町の中央にあるお城はてんてこまい。
近々開かれるハロウィーンパーティーの準備をしているからです。
普段は使用人たちに身の回りの世話をしてもらっている町の王子様も、この日ばかりは準備に駆り出されました。
王子様に任された仕事は、ハロウィーンパーティーに招待する町人のチェックをすることです。
この町の王様は気前のよい人なので、ハロウィーンパーティーには町の住人全員を招くつもりでいるのです。
心の中では面倒だと思いながら王子様は作業をしていましたが、ふと手を止めました。
町人のリストの一番最後に、見慣れない名前があったからです。
王子様はとても頭がいいので、一度でも会ったことのある人の名前と顔をすべて覚えていました。
自分はこの町のことなら何でも知っている、そう思っていた王子様はショックを受けました。
そうしているうちに、そのショックはだんだんと興味へと変わっていきます。
一体どんな奴なんだろう。
気になって仕方ない王子様は仕事などもう手につきません。
忙しさに廊下を走る使用人を捕まえては、この者を知っているか、どんな者なのか説明しろと詰め寄ります。
たくさんの使用人に声をかけ、やっとその人物が町外れの霧の館と呼ばれる古びた屋敷に住む魔法使いであることを知りました。
しかし王子様は自分の欲に正直に生きる方でしたので、そんなわずかな情報だけで満足できるはずもございません。
王子様の好奇心はますます募っていきました。
悩みに悩んだ王子様はある名案を思い付きます。
それは、ハロウィーンパーティーに王子様の客人として魔法使いを招くというものです。
一度決めたら必ずやり通す王子様は、それはもう楽しそうに魔法使い宛の招待状を書き始めました。
そうしてハロウィーンパーティーのその日が来るのを、誰よりも心待ちにしていたのでした。


お互いがお互いの知らないところで相手を思い合うことで、この物語は始まりを迎えます。
魔法使いの名はフラン、王子様の名はベルフェゴールと言いました。


ある日、フランがいつものように郵便受けを覗きに行くと、そこには見慣れない封筒が入っていました。
質のよい紙でできた封筒は、よく見るとこの町の王族の捺印がされてあります。
なにか悪いことでもしただろうか……。
不安に思ったフランは、部屋に戻るとペーパーナイフでゆっくり丁寧に封筒を開けて驚きました。
中に入っていたのはハロウィーンパーティーの招待状。一番下にはベルフェゴールとサインもあります。
ベルフェゴール。王子様の名前です。
心の中で名前を唱えただけで、フランの心臓の音がどくどくと鳴り響いたような気がしました。
会えるはずがないと思っていた人からパーティーに招待されたフランは、嬉しい反面戸惑ってしまいました。
なぜ自分宛の招待状が王子様から届いたのか、全く見当もつかなかったからです。
少しの間フランは悩みましたが、すぐに持ち前のいい加減さを発揮してしまいました。
理由は王子様に会って聞けばいい。王子様と会えて話せて、なんて光栄なことだろう。
納得したフランは早速ハロウィーンパーティーへ出席するための支度を始めました。
町中が参加する豪華なパーティーですから、めいいっぱいおしゃれをしても足りないほどです。
フランは寝室のクローゼットを開けて、奥にしまってあった箱を取り出しました。
中には高級そうな黒いマントが入っています。このマントも元はフランの師匠のものです。
鏡の前で羽織ってみると、マントは少し丈が長くて、フランには大きすぎるように感じました。
しかし、何度もくるくる回りながら鏡の中を覗いていると、なんとなく様になっているような気がしてきます。
フランはちょっとだけ嬉しくなって、マントを大事そうに抱える玄関のそばの洋服掛けにそっと掛けました。
ハロウィーンパーティーは明日です。この日ばかりは町全体が浮足立っているようでした。


そして、パーティーの日がやってきました。
町中にハロウィーンの飾り付けがされていて露店も多く、いつもの落ち着いた街並みとはまったく違っています。
フランはあまり人込みが好きではありませんが、王子様の呼び出しを受けているので仕方ありません。
覚悟を決めてフランは屋敷の門をくぐって外へ出ました。
年に一度の祭りでにぎわう中をフランが歩くと、人々はみな驚いた顔をして振り返ります。
普段フランはほとんど町へ出かけないので、珍しいと思われているのです。
いい気分はしませんが、フランは自分が人から注目を集めてしまう理由を誰よりも分かっていたので、
ただ周りからの視線を我慢するしかなかったのでした。

町を抜けると小高い丘と立派な城が見えます。
ここがこの町の中心であり、王子様たちが暮らしているところでもあります。
お城の周りには、今日だけ特別に入城を許された町の住人たちで溢れかえっています。
フランは人の山を何とかかき分けて進むと、お城の門番に声をかけました。
門番は初めはいぶかしげに眉をしかめていましたが、王子様からの招待状を見せるとすぐに重そうな扉を開けてくれました。
お城は外から見ても大きくて造りが美しい建物ですが、内側もとても素敵です。
細やかな装飾がいくつも施されていて、まだそこに根を張っているかのように瑞々しい花がたくさん飾られています。
見とれながらお城の長い廊下を歩いているうちに、ハロウィーンパーティーの会場へと辿り着きました。
広々とした部屋に、食事をのせた大きなテーブルがたくさん。それぞれに着飾った参加者も数え切れません。
姿は見えませんが管弦楽団もいるようで、ときどき周りの話し声に交じってゆるやかな音楽が聞こえてきます。
フランはその様子を見て、まるで本の中の世界のようだとうっとりしてため息をつきました。
しばらくの間ぼおっとしていましたが、ふとフランは王子様のことを思い出しました。
挨拶もしたいし、パーティーに招いていただいたお礼もしなければなりません。
フランはそばにいた飲み物を運ぶ使用人に王子様はどこにいるのかと尋ねました。
使用人は微笑んで、奥の一段上がったステージのほうを手で示しました。
そこには、遠目でも高級品であることが分かるほどにふかふかした椅子に、足を組みながら腰をかけて談笑する男性がいました。
金色で、目を覆うほど長い前髪。漂う気品と無邪気に笑う口元。
それは何度も何度も頭の中で描いた、本の中から抜け出たようにそのままの王子様の姿でした。
声をかけたいと思うフランですが、すっかり緊張してしまって思うように口が動きません。
もごもごと唇を動かしていると、そのうちにベルフェゴールのほうがフランに気付いたようです。

「なあ、おまえがフラン?」

フランは肩をびくりとふるわせました。
返事をしなければと思えば思うほどうまくいかなくて、口ごもりながら何とかはい、と答えるのが精いっぱいでした。
そんなフランとは正反対のベルフェゴールは、足を組みかえながらフランの全身を眺めつくします。

「……うししっ、面白いヤツ」
「えと、あの、王子様、今日はお招きいただきありがとうございます」
「ああ、うん。どう、楽しんでる?」
「はい、あの……聞きたいことが、あって」
「ん、なに?」
「どうして、ミーなんかを、呼んでくださったんですか?」

一瞬、ベルフェゴールとフランのあいだの時間だけが止まったような気がしました。
フランは聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと慌てましたが、ベルフェゴールはそんな様子にさえ気付かないように微笑みました。
「特別な理由があったわけじゃないんだ、ただゆっくり話がしたいと思っただけ、」
いけなかった?と首をかしげて見せるベルフェゴールに、フランはぶんぶんと頭を振ってベルフェゴールの言葉を否定しました。
「いけなくないです、ミーも同じ気持ちだったから……その、嬉しい、ですー」
フランは言いながらなんだか照れてしまって、顔が熱くほてるのを感じてうつむきました。
そんなフランの顔をその手で覆って、ベルフェゴールはぐいとフランの目と自分の目を合わせます。
「フランが来てくれてオレも嬉しいよ……そうだ、今度はオレがおまえに会いに行こうか」
「いい、んですかー……?」
「もちろん」
「あの、すごく嬉しいです」
「よかった」
王子様が微笑むと、まるで背景で花がふわりと咲いたように雰囲気が明るくなったように感じられます。
間近で見た王子様の笑顔に、フランは息を吸うのを忘れて胸が苦しくなりました。
フランの気持ちを知ってか知らずか、他の客に呼ばれたベルフェゴールはフランの頬を優しく撫でてから指を離します。
そして、楽しみにしてて、と一言だけ置いて手を振って去ってしまうのでした。

残されたフランは、自分がどうやって家に帰ったのか全く覚えていません。
気付くと自分の家のベッドに腰かけていたのです。
頭がくらくらして、頬がとっても熱い。病気になってしまったときと少し似ていました。
フランはすっかり疲れてしまって、そのままベッドに後ろ向きで倒れこみました。
目を閉じて、今日のことを振り返ります。パーティーのことや、お城のことや、ベルフェゴールのことを。
途端に目頭が熱くなるのをフランは感じました。そしてベルフェゴールはとても不思議な人だと思うのです。
ミーは魔法使いだけど、あのひとのほうが魔法使いみたいだ。
あのひとの声が自分の名前を呼ぶだけで、自分の内側がどろどろに溶けてしまうように思えて、胸の奥が焦げ付きそうです。
フランは自分がいつも使っている枕を引き寄せてぎゅっと抱きしめました。
心臓がどきどきしすぎで壊れてしまいそうだと思っているうちに、フランはうとうと眠りの世界におちていってしまったのでした。

他の参加者に挨拶をし終えたベルフェゴールは、自分の椅子のあるところへ慌てて戻りましたが、そこには既にフランの姿はありませんでした。
かなり長く話し込んでしまったので、フランが待ちきれずに帰ってしまうのも無理はありません。
とベルフェゴールは思ったところで、自分がフランが待っていると信じていたことに気付きました。
あんなに気になって会いたいと思っていたのに、実際会ってもまだなにか足りない気がするのです。
ベルフェゴールはそっと自分の手のひらを見つめながらフランのことを思い出していました。
まるで陶器のように白くて冷たかったフランの頬に、ついさっきまでこの手は触れていたのです。
そう思うだけで、ベルフェゴールはなんだか体が熱くなっていくのを感じました。
そして、さすが魔法使いだ、とベルフェゴールは勝手に納得します。
こんなにも、ベルフェゴールがフランを欲してしかたないなんて、魔法と説明された方がしっくりくるからです。
フランのことをもっと知りたいと思いました。フランの笑った顔が見てみたいと思いました。
今のベルフェゴールが行動を起こすためには十分すぎる理由です。
手のひらをきゅっと握りしめると、今日いちにちのパーティーの疲れがどこかへ吹っ飛んでいくようでした。


あくる日の朝、フランが屋敷中の掃除を終えて一息つこうとした頃に、チャイムが鳴るのが聞こえました。
この屋敷に人が訪ねてくることなんてほとんどありませんから、フランは珍しいと思いながら玄関の少し重い扉を開きました。
「はーい、どなたですかー?」
「会いに来たよ、約束通り」
王子様はいつだって突然現れます。フランの心の準備が出来るよりも、はやく。
そこにいたのはベルフェゴールでした。昨日よりはラフですが、十分高級そうな生地のシャツを着ています。
一度会った相手とはいえまだまだ緊張してしまうフランは、体が完全に固まってしまう前にベルフェゴールを屋敷の中へと招き入れました。
「お城の中と比べたら、狭くて汚いところですけど……どうぞー」
「いや……雰囲気がある屋敷だ、オレはすごく好き」
気付くとフランはベルフェゴールの唇の動きを目で追っていました。
す、き。自分に告げられたわけでもないのに、どうして体が震えてしまうのか、フラン自身も分かりません。
ただ、そんな自分をどうしてもベルフェゴールに見られたくなくて、逃げるように台所へ駆け込みました。
用意していたお茶の道具を持って部屋に戻ると、ベルフェゴールは座っていた椅子からそっと立ち上がりました。
「ごめん、勝手に」
「いえ、よかったんですよ? お客様なんですから」
フランが座るように勧めるとベルフェゴールは素直に腰をおろします。
そしてフランはベルフェゴールの前にカップを置いて、静かにお茶を注ぎました。
「いい香りだ」
ベルフェゴールの表情は前髪でよくわかりませんが、あまりにも優しい声なので嬉しくなってしまいます。
暖かいお茶も心をなごませるので、その日フランは昨日よりもうまく話すことができました。
ベルフェゴールはフランが話せば黙って頷き、フランが話し終えるととても楽しい話を始めてくれます。
その王子様たる振る舞いにフランは感心していました。
しかし、優しくされることに慣れていないフランは、どうやってこの気持ちを伝えたらよいのか分からなくて照れてうつむいてしまうのでした。

それから、ベルフェゴールの訪問は何日も続きます。
お城へ入るのは簡単に許されることではありませんから、ベルフェゴールのほうから訪ねてくるのです。
ときどき、ベルフェゴールはお土産としておいしいお茶菓子を持ち込んでくるようになりました。
流石に申し訳なくなってフランは受け取れないというのですが、いつだってベルフェゴールに押し切られてしまうのです。
そういう時は困ってしまいますが、フランはそれまでの日々とは違う喜びを感じるようになっていました。
こんな日がずっと続けばいいと、心のどこかで願っていました。

ベルフェゴールのほうはというと、こちらは少し悩んでいました。
どうしたらフランが喜んでくれるのか、全く分からないのです。
フランは訪ねていくたびに「嬉しい」と言ってくれるのですが、笑顔をベルフェゴールに向けることはありません。
ベルフェゴールはいろいろな方法を試しました。お土産をあげたり、お城へ招くことが出来ないかと努力もしました。
一日中フランと一緒に本を読みながら過ごした日もありました。
でもだめなのです。けれど、ここで諦めるような人ではありません。
明日はどんなことをしたらいいんだろうと考えるだけで、少し楽しくて眠れなくなりそうだと自分自身に苦笑をもらしました。

その夜、フランは夢を見ました。
それはいつか師匠が読んで聞かせてくれたおとぎ話に似た世界でした。
みすぼらしい服を着ている女の子が、フランに王子様に会わせてほしいとせがむのです。
魔法使いとしての腕の見せどころとフランは張り切って魔法を掛けました。
結果は……成功です! そこには真っ白なドレスを着てはにかむ女の子の姿がありました。
すぐにフランは空飛ぶ馬車を用意して女の子を乗せてあげます。
目的地はお城です。魔法の馬車なので、あっという間に着いてしまうのでした。
何度も頭を下げながらお礼を言う女の子を見送りながら、フランは手を振り返します。
フランはふと不安になって、帰りがけにお城の中を覗いていくことにしました。
裏庭から回って窓からそっと覗きこみます。すると、女の子は王子様と手を取ってダンスを踊っている最中でした。
フランの魔法は完璧でした。さっきまでの女の子とは違って、王子様の隣で微笑みあっているのがよく似合います。
おとぎ話ならありがちな、誰もが夢見るストーリーの裏で、なぜだかフランの胸が痛みました。
フランは目覚めて少しだけ泣きました。吐息のひとつもこぼしてしまわぬように、静かに泣きました。


次の日もベルフェゴールはフランに会いに来ました。
正直に言うと、夢の中での出来事を忘れられなかったフランは、あまりベルフェゴールに会いたくなかったのですが、
別に王子様がなにか悪いことをしたわけでもありません。
こころよく屋敷の中へ入ってもらったのはいいものの、普段のようにうまく話すことが出来なくなってしまいました。
当然、ベルフェゴールは焦ってしまいます。
何か都合の悪いことでもあったのだろうかと聞こうと思って、そっとフランの指に触れました。
その瞬間にフランはベルフェゴールの手を振り払いました。
ベルフェゴールは驚いて手を引っ込めたのですが、どうやらもっと驚いているのはフランのほうみたいです。
「あ、あの、違うんです、ごめん、なさい」
がたがたと震える手をぎゅっと握りこんで、ベルフェゴールを見つめます。
「オレこそごめん……その、嫌だった?」
「嫌じゃないです、でも、その……だめ、なんです」
「だめ?」
思わずベルフェゴールは聞き返します。フランはうっすらと目に涙を浮かべながら、ぽつりぽつりと話し始めました。

「あれから、たくさん本を読んだんです、でも、だめで、いつだって王子様と結ばれるのはお姫様なんです……魔法使いじゃ、なくて」
だから、あなたが選ぶべき人もきっと、ミーじゃない。
「そう思ったら、なんだかすごく悲しくて……おかしいですよね、こんなの」
「なに言ってるんだよ」
フランに続きを言わせないように、強い口調でベルフェゴールは割り込みました。
泣きだしそうで震えているフランの肩を、強く強く抱きしめます。

「これはおまえのための物語なんだよ。おまえが主人公で、おまえが幸せになるためだけの物語なんだ」
だから、きっと、これで正しいんだ。

言い終わったベルフェゴールは急に恥ずかしくなって、そっと腕の力を抜きました。
自由になったフランは顔を真っ赤にして、なにかを言いかけてはやめるのを何度も繰り返しています。
しばらくたったころに、フランは深呼吸をして。

「はい」
小さな声で頷いて、ベルフェゴールに微笑んで見せました。
初めて見たフランの笑顔が想像していたよりもずっときれいなものだったので、ベルフェゴールもつられて笑いました。



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ハッピーハロウィーン!